冤罪はなぜ起きるのか
(現行刑事訴訟法の欠陥)
指紋鑑定士  齋 藤   保
 目次
第1章  指紋鑑定人の目
第2章  無罪事件の共通点
第3章  逮捕の要件
第4章  逮捕後の捜査
第5章   冤罪の原因
第6章  証拠開示とチェックアンドバランス(牽制と均衡)
第7章  冤罪の罪悪性
 冤罪の構図と解説文(改訂版)

第1章 指紋鑑定人の目
 警察鑑識で培った指紋鑑定のノウハウを使っての民間鑑定は、開業以来、実に様々な鑑定依頼にめぐり会っている。その中に、最近1年間で実に5件の冤罪とされる事件の鑑定があった。その結果、鑑定人としての立場から無罪となった2つの事件を中心にみると「冤罪はなぜ起きるのか」という点について、共通した問題点があることに気がついた。それは、現行刑事訴訟法の欠陥として指摘できる。

第2章 無罪事件の共通点
 (例1)平成13年2月1日横浜家裁川崎支部で窃盗少年(18)の差戻し審が開かれ、無罪となる誤判があった。少年は、埼玉県警察東入間署が採取した窃盗事件の現場指紋から割り出されて逮捕されたものである。ところが、その現場指紋の鑑定が間違っていたのである。少年は、何度も指紋鑑定がおかしいのではないかと申し向けたが、取調官、検察官、一審裁判官は誰一人として少年の言うことに耳を貸さなかった。たった一言で済む「指紋再鑑定」という指揮がとられることはなかったのである。
 
(例2)平成14年3月12日名古屋地裁は、窃盗罪で起訴された電気工事業Aさん(33)の無罪判決を言い渡した。Aさんは、愛知県警察緑署が窃盗事件現場の鏡台から採取した現場指紋によって割り出されて逮捕された。ところが、取調べの段階でAさんは、3年前に被害者方で鏡台を動かしながらエアコン設置工事をしていたことがわかった。そこで、Aさんは、現場指紋はエアコン設置工事の時に油粘土のようなパテを使っていたので指紋が今まで残っていたのではないか、と主張したが無視されて起訴された。これをキャッチしたテレビ局から依頼されて現場指紋を取材鑑定してみると、なんと、合致した指紋は3s前後の押圧力がかかっており、また、天井のエアコンコンセントにAさんの合致状態指紋が新たに発見されたのである。 まさに、現場指紋は工事の時に付着した状況を現していた。
この2例には共通点が二つある。一つは、警察は極めて簡単な再確認の行為を無視していること。二つは、逮捕された人は、警察が自分のために真相を明らかにしてくれるものと期待したことである。

第3章 逮捕の要件
 逮捕の要件は、「疎明資料」と言って完全に犯人であるという証明がなくても、犯人と疑うに足りる相当な理由と逮捕の必要性があればよい。裁判所は、指定警察官から「逮捕状請求書」を受け、逮捕の必要性を検討して裁判官が発布するものである。これを「令状主義」という。また、違法捜査があれば、裁判で証拠排除もしている。すなわち、刑事訴訟法においては、警察官に捜査活動の権限を広く認めている代わりに、その濫用の危険性を第三者たる裁判官に委ね、事前の抑制下に置いて防ぐことを原則としたものである。したがって、逮捕された時点では、犯人ではない可能性も含んでいる。ちなみに、取調の結果、事実認否によって「自白事件」と「否認事件」に分かれ、否認事件の割合は、約5%以下だという。また、有罪率は99.8%以上だという。中には、うそをつく犯人がいることも確かであるが、無罪判決がある以上、冤罪があることもまた確かなのである。現在の令状主義だけでは、冤罪はすり抜けてしまっているため完全であるとはいえない。

第4章 逮捕後の捜査
 逮捕される前の捜査は、一応別人だとする「白」の捜査も行なっている。しかし、逮捕した後は、状況が異なる。捜査機関は、そもそも犯人を有罪とすることに最大の関心を持っているものであるから、積極的に有罪の証拠を積み重ねて立証しようとする。自白強要がその典型である。そうでなければ誤認逮捕になってしまい、それこそ警察の勇み足だ、といってマスコミにたたかれる事は目に見えている。反面、逮捕者の言い分を真剣になって証明しようとすると、誤認逮捕を自らが証明することにもなってしまう。これは、事実上利益相反行為に当たる。利益相反行為とは、一方当事者が有利になると、同時に他方当事者は不利になる行為をいい、一方が他方を代理したり、一人が双方を代理することで、これは法律で禁止されている。こういう状況の基では、真剣に事案の真相を明らかにしてくれることが期待できないとするのが道理である。例えば、例1の少年は、指紋の再鑑定をしてくれれば嫌疑が晴れるものと期待していた。ところが、うそつき呼ばわりされて全く無視されてしまっている。例2のAさんは、自分が被害者方のエアコン設置工事をしていた事実がわかったときは、これで家に帰れると思ったという。それは、警察官によって真相が理解してもらえたものと期待したからである。ところが、逆に、指紋の成分が付いた鏡台は消滅されるし、鏡台移動時の指紋押圧力実験もしてくれることがなかった。 
 したがって、いずれの捜査官も、捜査機関の都合のみにしか機能していなかったのである。

第5章 冤罪の原因
 捜査機関の目的は、「事案の真相を明らかにし」(刑訴法第一条)と規定されている。当然、逮捕状は、相当な理由で発布されるのであるから、逮捕後でも真犯人であるか、別人であるかの両面捜査をしなければならない部分が含まれている。反面、被疑者・被告人にとっては、例1、例2のとおりの現象が生じても自らが対応する手段がないため、捜査官に無実の証明を期待する以外に方法がないのである。この点、現行刑事訴訟法は、捜査機関の「一方的な都合のみ」という心理面に対して何も規定していない。ノーチェックなのである。したがって、制定された当時、捜査機関に従事する人の心理面の機微までを想定せずに、「性善説」で捉えていたものと推定される。利益相反行為と性善説を同時に考えると、被疑者・被告人に有利な証明は期待できない、とするのが道理である。だから、簡単な指紋の再鑑定指揮も出さないし、パテの成分分析も鏡台移動時の指紋押圧力実験もしないのである。これを実務面からみると、証拠固めの甘さにつながってくる。また、鑑定資料の完全消費による再鑑定不能状態を招くのもその一環である可能性がある。
 したがって、冤罪の原因は、捜査機関の心理面を計算に入れなかったことから生ずる現象なのである。最初から冤罪を作り出そうという捜査員は、誰もいるはずがないのは当然であるから、まさに、欠陥を突かれた格好である。

第6章 証拠開示とチェックアンドバランス(牽制と均衡)
 では、どうしたら法律上の欠陥を是正できるのだろうか。この場面で大事なことは、真相の解明を捜査機関が意図的にしているか、どうかということに関係なく、道理として利益相反行為の状態下では、真の「事案の真相解明」は期待できない、という事態を捉え、「制度」として疑いを差し挟まないように対処することである。捜査機関とて、真剣に犯人逮捕に臨んでいることに異論をさしはさむ余地がないことはもちろんである。だが、時によって犯人検挙を真剣に行なえば行なうほど反作用としての白の証拠を消滅させることにもつながってしまいかねない。しかし、現在の刑事訴訟が、有罪証拠のみを送致する方式であるため、無罪の証拠が送致対象にならないからわからないのが実態である。そのため、弁護側が後日提出を求めたとしても、証拠品の紛失、不作為の隠蔽、無関係物件だとして処分されて阻まれるケースも考えられる。かつて警察鑑定に従事していたので、捜査の流れを逐一承知している経験と今日弁護側鑑定を実施した経過を比べてみると、この実態が見えてくる。
 したがって、これを防止するためには、捜査活動の適正手続きの流れを客観的に確認する必要がある。それが証拠開示である。しかも、犯罪現場の証拠資料は、有罪、無罪の証拠を併せ持って採取されるものであるから、初期的な採証活動の証拠リスト開示が必要である。更に、真相解明上、弁護人の現場確認活動の保証も大切である。これによって活動状況の固定をなすことができる。例えば、狭山事件における3回目の捜索で発見された「疑惑の万年筆」、野田事件におけるすり替えたとされる「疑惑の手提げカバン」などは、現場が固定されていないがために成し得た現象である。また、警察鑑定も裁判官、弁護側に再鑑定ができるような資料の確保と有罪証拠以外の資料の保全措置等の義務化も重要である。今の技術や一方の鑑定能力で不可能であっても他方なら可能となる場合もあること、将来科学技術の発展によって鑑定可能状態が訪れることも考えられるからである。
 次に、資料保管に当たっては、真相解明のため、事件によっては第三セクター等が一手に管理し、捜査機関、弁護側双方が同時に閲覧できるシステムを作ることも選択肢の一つである。諸外国の証拠開示は、冤罪実例を敏感に反応させて既に実施されているところである。 
 したがって、捜査機関の一方的な都合が生じる可能性に対しては、証拠開示によってチェックアンドバランス(牽制と均衡)を図る必要がある。

第7章 冤罪の罪悪性

 全国で発生している犯罪は、相当数に上っている中、冤罪はほんの一部分にすぎない。しかし、その罪悪性は凶悪事件の罪悪性と比較しても悪質である感じをぬぐい去れない。冤罪は、二重悪である。表は善良な市民を陥れると同時に、裏は真犯人の放置につながっている。冤罪は、まさに、捜査機関が厳格な注意義務を怠ったために生じた重大な「犯罪行為」そのものに等しいとさえ言える。原因は、刑事訴訟法にある。その責任はいったい誰が取るのか。国民の受忍義務は、はるかに越えている。国民全体で冤罪を防止するための改革を考えなければならない。冤罪の数は少ないが、制度上の問題は法をもって緊急に対処しなければならない事態である。
 犯罪捜査は、ルールに則って遂行されるが、人が行なうことであるから絶対はない。早急な証拠開示の確立がなければ冤罪はまた起きるだろう。折りしも、司法改革と証拠開示が注目されている昨今、社会的識者の方々によって、一日も早い証拠開示制度の立法化が望まれる。指紋鑑定人として、微力ながら要求していきたい。