| 狭山第二鑑定 | |
| 1 | はじめに |
| この度、当指紋鑑定事務所で取り扱った狭山事件鑑定に関しまして、ここに鑑定書全文を公開することとしました。 狭山事件は、平成12年5月現在、第二次再審請求棄却決定に対する即時抗告の段階です。狭山事件に接した平成11年2月当時は、36年も前の事件にも係わらず、当事者はもちろん、第三者の支援者などたくさんの方々がさかんに活動されていることには驚きでした。そして、偶然にも、事件に関連した重要証拠である「脅迫状」及び「封筒」を鑑定することになって、新たな事実が沢山出てきたことにもまた驚きでした。鑑定人の立場は、依頼者の立場によって形式的に定まってきますが、実体的には、真実の究明であってどちらに偏るというものではありません。特に、本鑑定によって明らかにされた事実は、指紋鑑定技術者でなければ解明が困難なものでありました。 今、動いている事件について、新しい事実が出てきた以上、社会的反響が大きい事件であるだけに、世論で無用な論議の回避等を図る意味でも情報公開するものでございます。 |
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| 2 | 狭山事件の経過 |
| 本鑑定書の前提として、関連する狭山事件の経過と最終判決である東京高等裁判所の事実認定がどのようになっているのかを把握しないと、鑑定の利益が見えてこないので以下概略を記しておきます。 | |
| (1) | 事件の概要 |
| 狭山事件とは、昭和38年5月に、埼玉県狭山市で発生した強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件です。この犯人として石川一雄さんが逮捕され、1ヶ月後に自供したことと、脅迫状の筆跡が一致するとして起訴されました。第一審の浦和地方裁判所では死刑判決、第二審の東京高等裁判所では、無期懲役となり、1977年に上告が棄却され無期懲役が確定し
ました。石川さんは、えん罪である、として直ちに再審請求をし、第一次再審請求は、1980年に棄却決定され、次いで、1986年第二次再審請が出されたが、これも1999年7月に棄却決定されました。 特に、この事件は、部落差別が生んだえん罪事件として社会的に大きな反響を呼んでいるものです。 |
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| (2) | 事件の発覚 |
| 昭和38年5月1日埼玉県立川越高等学校1年生の中田善枝さんは、午後3時半頃学校を出て、自転車で帰途についたとみなされています。そして、この日の天候は、狭山地方は、午後2時頃から雨が降ったりやんだりをした後、午後4時20分頃から本降りとなっています。家族は、午後6時頃になっても帰ってこない善枝さんを探したがいなかったので一旦帰宅し、午後7時半頃食事をしていたところ、今、入ってきたばかりの玄関入り口のガラス戸に、白い封筒が挟み込まれているのが見つかりました。封筒の表には、「少時様」の文字が消されてその下に「中田江さく」と父の名(栄作)書いてあり、封は、ちぎられたようにして開封され、中には脅迫状が入っていました。 | |
| (3) | 指紋検出 |
| 届け出を受けた埼玉県狭山警察署では、翌5月2日、直ちに県警本部に封筒を持ち込み、刑事部鑑識課で封筒及び脅迫状の現状の写真を撮影した後、指紋検出を行っています。その結果、封筒の表側から2個、同裏側から1個、脅迫状の表側から4個の指紋が検出されました。そして、関係者の指紋と選別対照して犯人の指紋を見つける鑑定をしたところ、脅迫状の指紋2個が関係者に合致し、その他は、指紋隆線は見えるものの特徴点が不足していたために対照不能でありました。以後、遺留指紋はないと言うことで37年後の今まで表に出てくることはありませんでした。 | |
| (4) | 犯人逮捕 |
| 捜査本部では、脅迫状に指定された「五月2日12時」の身代金受け渡し場所に、捜査員を張り込ませて待ち伏せしていたが、現れた犯人を取り逃がしてしまい、折しも、この年の3月に、東京で発生した「吉展ちゃん事件」でも犯人を取り逃がしていたので、またも警察の失態が論議を呼んでしまいました。翌4日、中田善枝さんは、農道に埋められていたところを発見され、、同年5月23日に石川さんは、別件で逮捕された後自供するに至っています。 そして、同年6月26日、石川さん宅の3回目の捜索で鴨居から、被害者から奪ったとされる万年筆が発見され、有力な物的証拠となりました。しかし、この万年筆は、前2回の徹底した家宅捜索にもかかわらず発見されていなかったので、「疑惑の証拠」として論議を呼んでいるものです。 |
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| (5) | 脅迫状及び封筒が作成された経緯 |
| 脅迫状及び封筒の作成経緯については、石川さんの自白によると、 ○ 昭和38年4月28日に自宅で妹の大学ノート1枚を用い、兄の手箱の中にあったボールペンを使って本 件脅迫状を作成した。犯行日である同年5月1日午後4時頃から6時頃までの間に、被害者を誘拐した後 殺害した雑木林で、脅迫状の「4月28日」という文字を「五月2日」に、「前の門」という文字を「さのヤ」と、 それぞれボールペンで訂正しています。また、封筒に同ボールペンで「中田江さく」と宛名を記入すると 共に、被害者の持ち物から取り出した同人の身分証明書を同封等に入れて封印しました。 その後同日午後7時30分頃、被害者宅庭に侵入し、本件封筒を同家のガラス戸から差し込み投入するに 際し、念のため、その場で封を切って挿入しておいた被害者身分証明書の在中を確かめた後、被害者 宅に差し入れたものです。 ○ このボールペン書きの事実認定は、後の昭和47年1月の秋谷鑑定(東京高等裁判所が選任依頼した 筆記用具材質鑑定)を受けて、一部が万年筆又は、ペンで書かれたものと訂正されています。その部分 は、脅迫状では、雑木林で訂正した「五月2日」と「さのヤ」であり、封筒では、「少時様」の訂正線と表裏側 の「中田江さく」です。 ○ そのため、東京高等裁判所は、訂正に使用した万年筆は、被害者を殺害した後、奪った万年筆で書き 加えたものとして認定しています。 |
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| (6) | その他の事実 |
| 筆記用具関係以外で以下に示す事実は、書面によって提出されたのが初めてです。 〇 封筒と脅迫状に、軍手痕及び滑り止め手袋痕が認められたこと。 〇 封筒表側に小さな字で「20日」との記載があること。 〇 セロテープを使用している事実があること。 以上
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